PICK UP PLAYER 福原康太|RENOFA YAMAGUCHI FC

VOL.2「誓い」

♯26 MF 福原 康太 KOTA FUKUHARA

2009年シーズンMDP(5/6号)に掲載された記事です。

KOUTA.jpg「全ては僕の力不足」
いつもは饒舌な福原もこの日ばかりは多くを語らずに口をつぐんだ。
 今季の開幕試合・元気SC戦、レノファは圧倒的に攻め込みながらもことごとく決定機を逃し試合は引き分けに終わった。
「開幕戦ということで試合前からチーム全体の気合が入りすぎていた。典型的な自滅、空回りです。」
 JFL昇格に向けた中国リーグの開幕戦、チームの前に立ちはだかった敵はチーム自身の中にあったと福原は語る。しかし、落ち込んでいる暇はない。JFL昇格に向け、強いレノファ復活の鍵はこの男が握る。

 昨季、レノファに彗星のごとく現れた福原康太。得意のドリブルを駆使し、得点とアシストを量産。中国リーグ初制覇の大きな原動力となった。
 福原が生まれたのは福岡県北九州市。高校サッカーの名門・東海大五高校を卒業後、Jリーグ大宮へ入団。その後アルゼンチン留学を経て、水戸、セントラル中国(現・デッツォーラ島根)とチームを渡り歩き、昨季レノファ山口へ加入した。

「セントラル時代、レノファとの試合は燃えましたね。勝手にライバル視していて絶対負けられないって思っていました。だからレノファに加入する前は不安でいっぱいでした。チームに、サポーターに受け入れられるかどうか…でも、いざ加入するとみんながとても暖かく迎えてくれて本当に嬉しかった。その気持ちに応えるためにもおれがこのチームを強くしてやるって思いましたし、その気持ちは今も変わりません。」

 福原のプレーといえばやはり左足に尽きる。特に独特の間合いとリズムから繰り出すドリブルには本人も相当なこだわりを持っている。
「見ている人達が喜ぶプレーを心がけています。特にドリブルかな。僕みたいに背が小さくても出来るって事を証明して、小さい子供達に勇気を与えられたら嬉しいですね。とにかく僕が左足でボールを持った時はみんなに見て欲しい。それと、僕らにはリーグ戦が18試合あるけど、遠くに住んでいる人や忙しい人達の中には僕らの試合を1試合しか見に来ることが出来ない人達もいる。そういう人達にとっては1試合がとても貴重だと思うし、を作ってくれて応援しに来てくれる、その思いに最高のプレーをして応えたいですね。それが僕らの義務や責任だと思います。」

 このように、選手として自身の役割を明確に認識する福原であるが普段は非常に明るく、多くのチームメートが彼を慕う。長いサッカー人生の中で渡り歩いたチームと街、出会ってきた多くの人達が彼をここまで成長させた。
「今は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。昔は自分の為に好きなサッカーをやっていましたけど、今の僕があるのは支えてくれた親や友人、サポーター、チーム関係者のおかげだし、今こうしてサッカーを思い切りできる環境を与えてもらえたことに心から感謝しています。その人達の為にも僕はやらなきゃいけないんです。」

no26-fukuhara-2.psd 義務と責任、そして感謝。福原を駆り立てる強い思い。
そして彼にはもう一人恩返しをしたいという人物が…。

「宮成監督です。去年の地域決勝大会の石垣島での決戦の時、僕は体調が万全ではなくて、はっきり言ってチームに迷惑をかけました。それでも監督は僕を必要としてくれてスタメンに送り出してくれました。宿舎や試合前に声をかけてくれたり気遣ってくれたり…。でも僕は結果を出すことが出来なかった。それで、閉会式の時、昇格した町田や長崎の監督が胴上げされていたんですけど、ふと目に入ったのがそれを見ている監督の姿。あの時の監督の顔が今でも忘れられないんです。
『やばい、オレこの人を胴上げしたい』って思いましたね。だから、今年は宮成監督を男にします。つまりJFL昇格です。」

 今まで、そして今も支える多くの人達の思いに応えるために福原が立てた誓い。
 その誓いを胸に美しく強く、そしてしなやかに、福原が今日もピッチを切り裂く。



福原康太(ふくはら・こうた)
1983年3月23日生。福岡県出身。167cm。60kg。
ポジション:MF
前所属:セントラル中国FC
左足から魅せるドリブルは圧巻。個人で局面を打開し、多くの得点を演出。彼の左足下にボールがある時は注目。